一般的なベトナム人向けの日本的なマナー講座では、日本人社会では時間やルールを守り、礼節を重んじることが大切、といったように紹介されます。このような日本人評は、一方では正しい認識だなと思いながら、もう一方では真の意味で日本を理解した解説になっていないなと感じます。夏には冷たいおしぼりを、冬には温かいおしぼりをなど、様々な場面で日本人特有の行動・振る舞いは出るものですが、「恥の文化」や「和の心」と言った日本人特有の文化・価値観は、そう簡単に理解できるものでもありません。

 

  • 北属・南進の歴史

日本の文化や価値観が表層の日本人の行動で理解できるものではないのと同様に、ベトナム人が時間を守らない、報連相ができないと言ったベトナム人の表層の行動でベトナム人を理解しようとするのは危険と感じます。日本の文化が縄文・弥生・戦国・江戸・明治といった歴史を経て形成されてきたことを思えば、ベトナム・ベトナム人を理解するには、同様に歴史や地政に遡る必要を感じます。

島国としての日本は縄文・弥生時代に大陸より人類が移り住んでより独自の文化を育むに至りましたが、他の多くの大陸国と同様、中国やラオス・カンボジアといった国と隣接したベトナムは被支配と侵略という混迷の歴史を経ています。

ベトナムの歴史は北属・南進の歴史と言われますが、概ね1000年は中国の支配にあり、一方で海より渡ったと言われるチャンパ王国とクメール王国(現カンボジア)の土地を支配してきた歴史があります。日本では縄文

・弥生人の血をひく日本人=日本国民という一体感がありますが、様々な種族を飲み込んできたベトナムにおいては、ベトナム国民=ベトナム人といったように、同じベトナム人でも様々な血筋をたどった人から構成されています。藩を中心に比較的安定した地政であった日本のような向こう三軒両隣といった密接な人のつながりはありませんし、相次ぐ支配者の交代による体制への不信も重なり、直接血のつながった家族の強い絆を中心とした家族中心社会が構成されています。

 

  • 革命戦争としてのベトナム戦争

ベトナム戦争(ベトナムではアメリカ戦争)を知らない日本人はいないと思いますが、内戦とは言いながら、アメリカと当時のソ連の代理戦争であったとの認識にとどまる気がします。ベトナム戦争は当時フランスの支配下であったベトナムが第2次世界大戦で疲弊したフランスの間隙を縫って被支配層が起こした反体制革命戦争です。

ベトナム戦争で、フランス統治下で体制派であった知識層や富裕層は一層されたため、現在の共産党政権や政権とつながる経済人は、もとをたどればフランス統治下では虐げられていた労働者・農民層の人たちとなります。戦国・江戸時代の各藩の政商をルーツに持つ歴史のある日本の財閥等とは異なり、現在のベトナムにおいて政治経済を担う人たちはベトナム戦争後に権力を勝ち得た新興勢力です。政治経済の運営の経験や知見は浅いなか、祖国の独立の維持を第一として、南北の融合と、自らの発展ならびに独立国としての自立に向けた政治・経済運営がなされます。

 

  • 革命戦争としてのベトナム戦争

ベトナム戦争(ベトナムではアメリカ戦争)を知らない日本人はいないと思いますが、内戦とは言いながら、アメリカと当時のソ連の代理戦争であったとの認識にとどまる気がします。ベトナム戦争は当時フランスの支配下であったベトナムが第2次世界大戦で疲弊したフランスの間隙を縫って被支配層が起こした反体制革命戦争です。

ベトナム戦争で、フランス統治下で体制派であった知識層や富裕層は一層されたため、現在の共産党政権や政権とつながる経済人は、もとをたどればフランス統治下では虐げられていた労働者・農民層の人たちとなります。戦国・江戸時代の各藩の政商をルーツに持つ歴史のある日本の財閥等とは異なり、現在のベトナムにおいて政治経済を担う人たちはベトナム戦争後に権力を勝ち得た新興勢力です。政治経済の運営の経験や知見は浅いなか、祖国の独立の維持を第一として、南北の融合と、自らの発展ならびに独立国としての自立に向けた政治・経済運営がなされます。