先日、ハノイ市内の大学が日本式学士課程を立ち上げるというので設立式典にお邪魔しました。式典はさておき、質疑応答の時間に他大学のベトナム人先生より、「ベトナムの教育は知識偏重で、考える力が養われておらず、実務で役に立たない。本課程ではどのように考えるか」と、なかなか鋭い質問があがりました。

残念ながら担当者は質問者の意図が理解できなかったようで、「本課程は実務に沿った、実社会で役に立つ内容とします」といった、まとはずれな回答となっていましたが、ベトナムでの教育に問題意識を掲げるベトナム人もいるのだと関心するとともに、そうした問題意識がまだ一般的ではない現状が見て取れました。

 

      □ 「能力=知識×経験」がベトナム流

「応用力が弱い」そんなコメントも当地の日系企業経営者よりよく頂きます。弊社の研修講座でも、皆さん一生懸命にメモを取るのですが、思考をめぐらす様子はあまり窺えません。受講者に考えさせようと質問に質問で返すと、「私が質問しているので、答えてください」と安易に答えを望む傾向もみられます。

ベトナム人材に「優秀な人とはどんな人?」と問うと、「専門知識をたくさん持っている人」や「経験豊富な人」といったような回答が多くあり、「能力=知識×経験」の方程式が見えてきます。また「頭の良い人とは?」という問いには「すぐに答えが出せる人」といったように、いわゆる「頭の回転の速い人」が頭の良い人との理解があるようです。

まとめると、外部から与えられた知識や経験を吸収し、すばやく引き出すことのできる人が能力の高い人、といった定義となりましょうか。残念ながら、発想力や洞察力、構想力などといった、外部から与えられるものではなく、自ら生み出す力については、まだあまり着目されていないのが現状のようです。

     

     □ 学び方を学ぶ

いわゆる、勉強は得意だが学習が苦手と言えそうなのがベトナム人材でしょう。よく見られる課題は、自身の発案に自信過剰となってしまったり、思考が浅く陳腐な発案となってしまうことでしょうか。

「勉強」は知識や経験を蓄えること、「学習」は知識や経験を受けて行動や判断が変わること、とも言われます。まずは学び方を身に付け、頭でっかちの物知りになるのではなく、より良い行動・判断ができるよう自分自身を変えていく、学習ができるようになって欲しいものです。

 

  • 無知の知

勉強好きの成果か、勝ち得た知識について絶対の自信を持ってしまうことが思考を妨げる障壁なります。また自身の考えに固執し、他人の意見に耳を貸さないベトナム人材もままおり、こうした人材には正直お手上げです。

「金槌しか道具がないと、全ての問題が釘に見える」と言いますが、自身の持っている知識に慢心せず、まだまだ知らないことの方が多いということを念頭に、「知らないということを知ることが、知ることの始まり」という姿勢で、新たな知識や他人の意見に耳を傾けることに貪欲になって欲しいものです。

  • 視点・視座・視野

日々の業務で常に提案をするように働きかけると、自分なりに考えて提案してくれるのですが、あっさりとは承認できないことがままあります。多くは考える際に考慮点がかけており、「その案だと後々問題が起きるよね」と指摘すると、「あー。そうですね。思いつきませんでした」となり、再提案を繰り返すうちに諦めてしまうというオチとなります。

視点(異なるものを見る)視座(異なる立場から見る)視野(広く・長く・深く見る)とも言いますが、常に多面的にものを見る習慣を身に付けたいものです。

 

  • 仮説検証

他人の意見や批判に耳を傾け、様々な視点・視座・視野から検討を繰り返すのが思考のプロセスですが、思いついたままのアイデアを最終案として結論付けてしまうことが課題です。自身のアイデアはあくまで仮説であり、検討を繰り返しアイデアを検証、誰もが納得できるアイデアに磨き上げる思考のプロセスを身に付けたいものです。

 

知っている知識に基づいて、質問に即応的に回答するスタイルが常套のベトナムでは、まだまだ「考える」という作業は真新しいものに感じます。「勉強」から「学習」へ進化し、知識に頼るのではなく自身を磨くよう、学び方を学んで欲しいものです。