ベトナムは社会が発展途上なら、人も発展途上

ベトナムに視察に来られる方からよく耳にするのが「ベトナムは日本の1970年代のようですね」という感想でしょう。建設工事現場があちらこちらにあり、バイクが隙間なく行き交う喧噪から発展途上のベトナムの活力を感じられての感想なのでしょう。確かにベトナムは日本の40年前を彷彿とさせます。翻せば、ベトナムで仕事をするということは、21世紀の日本人が20世紀の人たちと仕事をするということなのです。

 

□ ベトナムでは近代化が始まって30年足らず

ハノイ市内は高速道路が縦断し、高層ビルが立ち並ぶ一角もでき、ホーチミンの1区はここがベトナムだろうかと思い違えるようにブランドショップが立ち並ぶようになりました。2008年より中所得国入りしたといわれるベトナムは、日本のような先進国の人が暮らすにも比較的苦労のない都会になりつつあります。

しかしながら、1986年のドイモイ政策から30年弱、2008年のWTO加盟から6年とベトナムは、まだまだ経済発展の歴史の浅い国です。

筆者がベトナムを往来し始めた2005年頃でも、まだ街中に信号もまばらで、タクシーなど商用車を除いては車の往来も非常に少なく、まさにバイク天国でした。

自家用車がぽつぽつとみられるようになり、信号が増えてきたのは2009年頃からでしょうか。その頃はまだ赤信号で止まる運転手は全体の2割くらいだったかと思います。安全確認のためのクラクションもひっきりなしに鳴らしている状況でした。それが今では信号にも慣れてきたのでしょうか、最近は8割くらいの人は信号を守るようになったように感じます。2007年のヘルメット着用義務化は壮観でした。政府の真剣さが伝わったのか、バイクの運転者のほぼ全員がヘルメットをかぶって運転する姿は、一夜にして町の様相が変わったようでした。

 

□ まだまだ発展途上のベトナム人材

ルールが守れない。マナーが悪い。ベトナムで会社を立ち上げられて間もない製造会社の多くが共通して頭を痛めることの一つです。使った楊枝は通路に散乱している、タバコの吸い殻がそこかしこに落ちている、洋式便所の便座に足跡がある、食堂のテーブルや床が食べかすだらけになっている。こうした点の改善から仕事が始まります。ある会社の経営者は「幼稚園の先生だね。1000人の子供に仕事をさせているようなもんだよ。」とおっしゃっていました。

始めは、「ベトナム人はいったいどうなっているんだ?日本で聞いた話と違うじゃないか!」と感じてしまいますが、ベトナム発展の歴史の浅さを思えばいたしかたないとも思えてきます。

信号の目新しさも一例ですが、一般のベトナム家庭では床にゴザを敷いて食事をすることが多く、食べこぼしもしますし、食べかすなどもゴザごと片付けるのでさほど気にしません。もちろん一般家庭では様式便所は普及していません。ゴミ回収は路肩に落ちているゴミを拾っていくので、タバコの吸殻を投げ捨てたり、道にゴミを捨てるのもあまり気にはしません。特に郊外では農家が多く、雨が降れば仕事は休みなのが当たり前です。

これ見よがしにI-Phoneを持っていても、高級なオートバイに乗っていても、全てがここ10年内に起きたことですので、中身の人間はまだまだ未発展なのです。

 

□ ゼロからだと思って当たり前のことを教える

駐在の皆様が苦労されるのは、こうした発展途上のベトナム人材とともに、さりとて使命である事業計画は達成しなければならないということでしょう。ベトナム人材には目をつぶって、自身の粉塵の努力で使命を成し遂げることもできなくはないでしょうが、それでは後任の駐在員にお荷物を押し付けることになってしまいますし、中期的な拠点の自立化はおぼつかなくなります。

経済発展の歴史の浅さを見れば、ベトナム人材は「ルールを守らない」「マナーが悪い」のではなく、「ルールを知らない」「慣れていない」のだと思います。先の「信号を守る」の例でもそうですが、交通ルールの浸透とともにクラクションの音も少なくなりましたし、タクシーの運転手がXin Com onと言ってくれることも珍しくなくなってきています。

ベトナムの実情をご存知なく赴任された方には追加のご苦労ですが、ベトナム人材は白紙の状態と考え、当たり前のことから教えていくことをお勧めします。「挨拶をする」「ありがとう、ごめんなさい、が言える」「ゴミはゴミ箱に捨てる」「使ったものは元にもどす」、そんなことからベトナム人材の育成が始まるのだと思います。