• ベトナムの歴史は従属の歴史

ベトナムの歴史は「北属南進の歴史」と言われますが、紀元前より1850年代のフランス統治までの間、延べ約1000年、4度にわたり現中国(漢・隋・明)の支配下にありました。中国は統治の手段として仏教や道教とともに「忠君」の思想を中心に儒教を普及させたようです。

フランスの植民地下においては、「フランスの行政・工場経営者・商業経営者そして植民者にとって従順な官吏、教師、通訳そして店員となる土民を訓練することである」との目的のもとに教育が行われ、おなじみのファン・ボイ・チャウをして、「亡国以前には良教育はなかったが、未だ奴隷牛馬たるの教育はなかった。亡国以後、良好の教育はもとよりフランス人の増加するところではないのみならず、日々に奴隷牛馬にする教育を強要したのである」と評される教育だったようです。しかしながらフランスの建設した教育施設はかなり数に限りがあり、一般人はほぼ無学であったようです。

 

  • ベトナムの独立と南北の統一

第2次大戦の機を得て、ホー・チ・ミンが独立に向けて手本としたのが、ロシア革命にならったマルクス・レーニン主義です。ベトナムの独立・統一後も南部の思想改革のねらいも含め「ベトナムの教育制度は…優秀な社会主義労働者を養成し、将来の革命世代を育成することである」と1980年憲法にも革命思想は引き継がれていきます。ドイモイ後、1998年に教育法が成立します。「ベトナムの教育は、人民的、民族的、科学的、現代的な性格を持つ社会主義教育であり、マルクス・レーニン主義とホーチミン思想を基礎とする」とベトナムの市場経済化に向けた近代化が見られるようになります。その後2005年に教育法が改訂され、社会主義教育やマルクス・レーニン主義、ホーチミン思想に変わるところはありませんが、より実社会・経済ニーズへの適合が強調されるようになっています。

 

  • 教育は価値観共有の手段でもある。またれるベトナム人材の自主自立化

日本でも1890年に発布された忠君愛国主義を旨とする教育勅語がその後の戦争への下地作りを進め、戦後1947年の教育基本法により、民主や平和・人類の福祉といった価値観を共有することとなったわけですが、言うまでもなく教育は世相を反映した価値観を国民が共有するための手段でもあります。

日本から遅れること50年、ベトナムでは、市場経済を前提とした教育は1998年に始まり、教育の近代化は2005年から始まったともいえましょう。こうした点からは現代の日本人と近しい価値観を持った人材が社会で活躍するようになるには、後10~20年待つ必要があります。

 

話を戻し、日本人がなぜ報連相に長け、主体性を持った行動が取れるのかについては、私見ですが学生時代の部活動やサークル活動といった自治・集団活動が影響しているのではと感じています。絶対的な権限者がいない中で互いに意思疎通し合意形成をしていく活動が、他人を慮った各人の主体的な行動や思考の発達につながっていると思うのです。

最近では、ベトナムでも学生の語学サークルやボランティア活動などの自治的な活動が見られるようになりました。これからのベトナム人材の主体性や説明力には大いに期待が持てます。