叱っても、怒らない

仕事の経過報告がない、行き当たりばったりに仕事を進めて結果は間違い・抜け漏れだらけ。ついかっとなって怒鳴りつけると、相手は支離滅裂な屁理屈で逆切れして反省の色が全く見えない。筆者もそうですが、特に来越して間もない頃はイライラが募り、「どうしてベトナム人はこうも聞き分けがないんだろう」と悩んでいました。

 

□ ベトナムでは感情的になるのは恥ずかしいこと

 不思議なのが、路上での喧嘩はしょっちゅうですが、ベトナム人の上司が部下を怒鳴りつけている場面にでくわすことは滅多にないということです。ベトナム料理屋でお釣りをごまかそうとしたスタッフに注意するためにマネージャを呼んでも、マネジャーはスタッフを叱るでもなく、だまって足りないお釣りを払うだけ。筆者が仕事で遅くなり事務所を出る際に管理人のベトナム人に注意を受けましたが、相手は空を見つめて淡々と「この事務所の開館時間はxx時までとなっている。遅れるのであれば事前に管理事務所に届け出るように」と言うだけです。聞くところによれば、ベトナムでは感情的になることは自身を見失い取り乱していると思われるため、特に大人はやってはいけない行為と捉えられているようです。

 

□ 他人の領分に踏み込まないのがベトナム流

ベトナムは個人主義と言われますが、筆者にはベトナムの個人主義は一般に想像する「我を張る」個人主義ではなく「自己防衛の」個人主義と感じられます。他人のことには口を出さない挟まない。人のことは人のこと、という個人主義です。

例えば、部下が失敗しても上司のベトナム人は怒りません。失敗は失敗、相手を非難することは相手の感情に踏み込むことになるため淡々と処罰を告げるだけです。もしくは全く口にも出さず、後で評価に反映するだけということもあります。一方で作業者同士の殴り合いの喧嘩など、相手の領分に踏み込むと徹底抗戦をすることにもなります。外国人には比較的に心を開いてくれるベトナム人ですが、感情的になって部下のベトナム人と接すると、相手は口を真一文字に結んで空を見つめて聞き流すか、逆に怒り出し罵詈雑言を浴びせてきたりします。

「ベトナム人の上司が部下に注意できない」という相談も良くいただきますが、こうした問題も人のことには口を出さない、口を出したらそれなりのしっぺ返しがある、というベトナムの個人主義を背景にしていると思われます。

 

□ 叱っても怒らない

しかしながら、こうしたベトナム流の個人主義が会社にはびこってしまうと、誰も互いに注意せず、細かい規則と厳しい処罰だらけの職場となってしまいます。問題となるのは注意をされている人が、「相手に攻撃されている、非難されている、辱めを受けている」と感じてしまうことでしょう。互いの領分に踏む込まないことを暗黙のルールとしているベトナム人同士では、注意をするということは、越権行為です。ある程度の人間関係ができて、「上司は自分のことを責めようとしているのではない、むしろ育てようとしているのだ」とわかってくれば、徐々に耳を傾けてくれるのですが、それまでは「注意をする=相手のプライドを傷つける」と考えたほうが良いでしょう。

「相手のために叱り」「自分のために怒る」と言われます。「怒る」のは自分の感情を相手にぶつけることで自分の鬱憤を晴らすことだそうです。ベトナム人の部下との間に人間関係ができていれば、ある程度感情的になっても相手は自分を敵視しているとは感じませんが、相当の人間関係ができていない限りはお勧めできません。冷静にしかし熱意を込めて叱り・指導することです。

叱られることにさえ慣れていないベトナム人ですから、その後の切り替えも大切です。叱っても後に引きずらず、むしろ笑顔で声をかけるなどメリハリをつけることによって、「決して責めているのではない」と、ベトナム人に安心感を与えることも大切です。

むしろ褒めて伸びるタイプが多いのがベトナム人のように思います。日本人は人を褒めるのは苦手ですし、褒めるだけだと慢心して図に乗るベトナム人が多いのも事実ですので、叱った後にできるようになったら認めてあげる。それを繰り返すことによって、「叱られるのは責められているのではなく、指導を受けているのだ」、「指導に従ってより良く仕事ができれば認められる」、と感じられるようになっていくようです。

守りの個人主義のベトナム人材は、自分が否定されることを極度に恐れる一方で、自分の仕事が認められると俄然やる気を出します。叱られるのは更なる成長のための機会を与えられているのだと感じられる指導の仕方と職場づくりを心掛けたいものです。