ベトナム人が3人で穴に落ちると…

ベトナムの近代化が始まったのは1990年代から。20代半ば以前のベトナムの人たちは近代化の流れの中、若い人ほど日に日にあか抜け、心身ともに発展が見られるように感じます。一方で30代以降の人たちは年齢が増すにつれベトナムの伝統的な気質がうかがえます。どうしても年齢を積んだ経験者を採用せざるを得ない会社もあろうかと思いますが、一方でベトナムの伝統的な気質についても理解を進めたほうが良いでしょう。

 

□ ベトナム人は3人で穴に落ちると助からない

日本人についても「国際会議でインド人を黙らせるのと日本人に話をさせることほど難しいことはない」などと言われたりしますが、ベトナムでも自国民の気質を皮肉るような慣用句が多々あります。

「ベトナム人が1人で穴に落ちても助かるが、3人で落ちると助からない」――。

これは言わずもがなですが、3人で穴に落ちると互いに足を引っ張り合うので、誰も穴から抜け出せないという意味です。個人単位では優秀なベトナム人ですが、集まると成果を出せないということでしょうか。

「ドイツ人は同僚が優秀な論文を発表すると奮起する。ベトナム人は同僚が優秀な論文を発表すると、選考委員になって落選させる」――。

こちらも、互いに足を引っ張り合う例ですが、自分を高めるよりも相手を貶めることに注力してしまう気質が伺えます。

「日本人は言ったとおりのことをする。中国人は言わずにする。ベトナム人は言ったことと違うことをする」――。これは、弊社のスタッフが冗談で言った言葉ですが、なるほどと思わせました。

こうしたベトナムの伝統的な気質は戦後の配給時代の物の奪い合いから生じたとも言われていますが、どうも戦前からも同様にベトナム人を評した慣用句があり、むしろ古くから根付いた気質のようです。ベトナム人は、こうした悪い気質を「Người Việt Xấu Xí:醜いベトナム人」と呼び、行動変化を呼びかけています。ベトナム語の本も出ていますし、インターネットでも様々な例が検索できますので、参考にされてはと思います。

 

□ 水面下での嫉妬とねたみのウェットな文化

「ベトナム人は情に厚く、日本人にとって親近感を感じる」とよく言われます。確かに、ベトナム人は外国人とりわけ日本人には尊敬の念があり、にこやかにオープンに接してくれますし、不慣れなベトナム生活を送る日本人にとっては親切にしてくれるベトナム人は命綱でもあります。

一方でしばらくベトナム生活を続けていると、ベトナム人が日本人以上にウェットなのではないかと考えさせられます。例えば、いつも昼食を一緒に取っている仲の良い二人組みの従業員から、「あの人は信用できないから気をつけなさい」と個別に告げ口を聞いたり、互いには言い合わないのに「あの人の給与が自分より高いのはおかしい」と自分の給与の増額を要求してきたりします。

手を焼くのが、こうした嫉妬やねたみでの足の引っ張り合いが表面には現れず、水面下で行われていることでしょう。先の例のように日本人を利用して相手を貶めようとすることもままありますが、多くの場合はベトナム人は日本人を巻き込まずに水面下で互いの足を引っ張り合います。

 

□ ウェットな文化だけにドライな仕組み作り

こうした伝統的なベトナム人の気質も世代が若返るにつれて薄れてきていると感じますが、会社の中核人材が30代半ば以降となっている会社では軽視できません。挨拶を励行するなど、互いに心を打ち解けて話をする風土を作り出すことが長い目でみて重要ですが、短期的には伝統的な気質はそう簡単に拭い去れるものでもありません。

特に会社において、ベトナム人材のウェットな気質で悩まされがちなのは、評価や昇進昇級といった最もベトナム人材の関心の高い話題でしょう。互いに相対的な位置関係を計っているベトナム人同士ですので、感覚的な座標に沿った評価が行われていれば問題ないのですが、一方が座標をはずれて高く評価されると他方は水面下で不満を持ちます。「自分は自分、人は人」といい聞かせても嫉妬心は消えません。

お勧めするのは日本以上に仕事の成果や過程を見えるようにすることです。結果さえ良ければ良いといったベトナム的な価値観と過程を重んじる日本的な価値観は必ずしも一致しないため、仕事の内容・良し悪しの判断基準、評価の仕方など徹底的に数値化・標準化し、感情の余地の入り込まない仕組みつくりが期待されます。

ウェットな文化に流されて、その場その場の同情心で判断をしていると、損得情報の流通のすばらしいベトナムでは、「あの人の場合は良かったのに、なぜ私は駄目なんですか」と、辻褄の合わせられない袋小路に追い込まれてしまいます。

ウェットな文化だけにドライな仕組みつくりを徹底して行う。ベトナム人気質に振り回されないためにも重要な基本となります。