目覚ましい経済成長に目を奪われがちなベトナムですが、2017年の腐敗指数は180ヶ国中、エチオピアと同列の107位、日本(20位)はもとより、タイ(96位)を下回り、フィリピン(111位)のわずか上である現状を忘れてはなりません。まだまだ不正慣習は根付いており、知らぬ間に会社を侵食、人材経営の上でも落とし穴にはまることもありえます。

目覚ましい経済成長に目を奪われがちなベトナムですが、2017年の腐敗指数は180ヶ国中、エチオピアと同列の107位、日本(20位)はもとより、タイ(96位)を下回り、フィリピン(111位)のわずか上である現状を忘れてはなりません。まだまだ不正慣習は根付いており、知らぬ間に会社を侵食、人材経営の上でも落とし穴にはまることもありえます。

 

  • 途上国に特有の社会の潤滑油としての賄賂

一般に賄賂の事例として、購買担当者によるサプライヤからのキックバックがよく取りあげられますが、日本と同様、ベトナムにも各種の賄賂形態が存在します。

日本でもお歳暮や心付けといった賄賂とも解される、謝礼や挨拶の習慣はありますが、ベトナムでも旧正月のプレゼントはあり、年の瀬には「来年もよろしくお願いします」と、社長に現金を送る従業員もいます。また、日本では100万円程度でも話題に上がる汚職ですが、違法賭博への加担などで数百億円単位の汚職もベトナムでは摘発されています。

加えて、ベトナムのような途上国に特有なのは社会の潤滑油とも思える、手続き費用としての賄賂でしょうか。地縁・血縁がないと就職が難しいと考えるベトナムでは、外資系企業での採用でも謝礼としてお金を払う場合があり、交通違反で捕まっても、面倒な行政手続きや罰金よりも安い賄賂で見逃してもらえ、行政手続き上の書類が不備で突き返されても、あとから「助けてあげましょうか」と担当官から電話がかかってきます。

様々な手続きが複雑・矛盾・硬直化している現状から回避するための潤滑油とも言えますが、明らかに不要な書類だが規程上求められる書類を不要としてもらう、処理を急いでもらう、といった柔軟な対応の依頼はお金で解決する習慣がまだまだ残っています。

この手続き費用としての賄賂は、社内のあらゆる部署、現場において生じる可能性があり、一般に言われる賄賂=購買という視点のみでは、賄賂の流通を見過ごしてしまいます。

 

  • 賄賂の組織化により会社が乗っ取られるリスクも

全ての従業員が賄賂に手を染める可能性はあるのですが、特定の個人や小グループが不正に関わっている場合には、個別の処分にて対応が可能です。恐れるべきは、賄賂の流通が組織化され、裏の会社組織が表の組織以上に権力を握ってしまうことでしょう。

「歩道を取り戻せ」と謳っていた人民委員会の副主席が、「路上駐車場などに寄生する幹部が多く、役割を果たすことができなかった」として辞任した報道が以前ありました。その後、人民委員会の各部署が区内の一等地にある路上駐車場48か所を運営しているとの報道を受けて、管轄地域内の路上駐車場が活動停止となった例もあります。

国営企業向けの仕事で、賄賂を払ったとたんに仕事がスムーズに進んだとの話も耳にしたことがありますが、副業が労働法上も認められているベトナムでは、ともすると伝統的な思考に染まったベトナム人材は、担当職務を果たしていれば、立場を利用した賄賂の受領も副業のうちと、組織ぐるみで副業を行うよう、組織化を進めるようです。

やっかいなのが、そうした副業組織の親玉が、高い職位を得た、日本人から最も信頼を置かれているベトナム人材だった場合です。知らぬ間に裏の組織が従業員を掌握し、「何かしたければ、まずは私に相談ください。そうでないと、何が起きても知りませんよ」と、新任の日本人社長に釘を刺すケースもあるようです。

 

  • 従業員からの忠告サインに耳を澄ませる

幸いなのは、日本企業のような外資系企業に職を求めるベトナム人材は、伝統的な賄賂組織を構築する術がなく、または嫌う人も多いということでしょう。多くは報復を恐れて、同僚の不正に見て見ぬふりをしますが、声をあげる人も必ず出てきます。しかしながら、本人も密告として声をあげるので、その声はかぼそく、「社長、気を付けてください…」など不明瞭なことがよくあります。

残念ながら、日本人の中には面倒を恐れて、せっかく挙げられた声にも反応せず、時を経て自体を悪化させるケースもあるようですが、皆さんには是非、忠告サインに耳を澄ませて、組織化が進む前に早期に対処して欲しいものです。

 

筆者が運営する教育会社のような業態では、容易に商品をコピーすることができるため、離職後、はたまた在職中にも週末のアルバイトにと、競合事業を行うケースがあります。

なかなか良い人材が見つからないベトナムでは、多少懸念があっても採用してしまい、後で後悔をすることがよくあります。筆者の場合は、多くの失敗経験から、能力や経験を先置いて、まずは伝統的な思考に染まっていないかを見極めるようになりました。